最高裁判所大法廷 昭和37年(あ)1690号 判決 1965年10月27日
主文
弁護人近藤亮太、同内山賢治、同大塚錥子の上告趣意第二点は理由がない。
理由
弁護人近藤亮太、同内山賢治、同大塚錥子の上告趣意第二点について。
原判決は、本件公訴事実中、被告人が同第一記載のとおり交通事故を起して被害者に傷害を与えたのにもかかわらず、同第二記載のとおり、そのまま運転を継続し、法令に定める事項を所轄警察職員に届け出でその指示を受ける等法令の定める必要な措置を講じなかつた事実を認定した第一審判決に対する弁護人の控訴趣意中、仮りに、被告人が公訴事実第一記載の交通事故を起したとしても、被告人は被害者に傷害を与えた事実を認識していなかつたものであるから、道路交通取締法二四条一項所定の義務違反の罪は成立しない旨の主張に対し、右二四条一項、同法施行令六七条所定の緊急救護並びに報告義務の発生については、車馬等の運転者において「人の殺傷又は物の損壊」の結果発生の事実を認識することを要するものではなく、その運転中の車馬を直接又は間接に人の身体に接触若しくは衝突させ又はその身体をひいたことの認識さえ備えれば必要にして十分なものと解すべきであるとして、右義務違反が成立する旨判示したことは、所論のとおりであり、原審の右判断が、同法二四条一項所定の義務違反の成立するためには、少なくとも右の人の殺傷又は物の損壊の結果発生の事実についての不確定又は未必的な認識を必要とすると判示した名古屋高等裁判所金沢支部判決(昭和三四年(う)第二四五号、同年一二月一七日宣告)及びこれと同趣旨の東京高等裁判所判決(昭和二八(う)第二九四号、同三〇年一月二八日宣言)と相反する判断をしたものであることも、所論のとおりである(なお、所論引用の判例のうち、東京高等裁判所判決(昭和二八年(う)第三八三一号、同二九年七月一九日宣告)は、事案を異にする本件に適切でない。
道路交通取締法二四条一項、同法施行令六七条一項及び二項の規定は、事故発生に関係のある操縦者等に対し、まず応急の措置として救護と物の損壊等に伴い発生すべき道路における危険の防止その他交通の安全を図るため適切な措置を執ることを命じ、更に、警察官に対し万全の救護と安全のため適切な措置を執らしめるため報告義務を課したものであり(昭和三八年四月一七日大法廷判決刑集一七巻三号二二九頁参照)、操縦者等に対し右救護等の措置義務又は報告義務に違反するものとして刑事責任を負わしめるのは、救護等の措置の対象となるべき被害者の殺傷の事実、危険防止その他交通安全の措置の対象となるべき物の損壊の事実が発生し、しかも操縦者等がこれらの事実を未必的にしろ認識した場合に限られるものと解するのを相当とする。
ところで、第一審判決の挙示する証拠によれば、被告人は自己の運転する大型貨物自動車の車体左側を被害者黒川隆一の運転する原動機付自転車に接触させ、同人の右足下腿部を自車左後輪でひいたこと、その際、被告人はそのまま一五〜六米進行して後を振り向いたこと(なお、事故発生の前後急停止の措置を講じた事実も推認できる)、そして当時黒川は路上に転倒しており、附近に右自転車も放り出されていたことが明確でき、第一審判決は、右挙示の証拠により、被告人には被害者の身体の傷害発生について少なくとも未必的認識があつことを認定判示したものと解せられ、右第一審判決の認定判断は正当である。してみれば、右第一審判決を支持した原判決も、結論において正当であり、前示判例違反は判決に影響を及ぼさないことが明らかであるから、原判決を破棄する理由とはならない。論旨は理由なきに帰する。
よつて、刑訴法四一〇条一項但書により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。(横田喜三郎 入江俊郎 奥野健一 山田作之助 五鬼上堅磐 横田正俊 草鹿浅之助 長部謹吾 城戸芳彦 石田和外 柏原語六 田中二郎 松田二郎 岩田誠 石坂修一は退官につき署名押印できない。)
<原審判決理由摘録>
(前略)いわゆる交通事故の発生した場合には、乗馬等の運転者は直ちにその運行を停止し、何よりも先づ被害者の救護等の方法を講ずべきことを、法は、当該の運転者に命じているのである。この場合交通事故による傷害等の発生の状況が極めて微妙、複雑であつて(外部から認識できるような身体の損傷を伴わない場合の多いことは、われわれが一般に経験するところである)、その死、傷(特に傷害の場合)の結果発生の有無をこれら運転者の判断に一任し、法の強く要求する右緊急救護義務の発生をその者の判断にかからせることは、相当なものとは思われないこと、しかも、かの交通事故、すなわち、車馬を歩行者等の人体等に衝突させあるいは接触させ(直接たると間接たるとを問わない)、又はその人体をひいた場合には、当該人の死傷の結果を伴うことが一般であり、むしろ、その場合になお死傷の結果をひき起さないというが如き事態は極めて稀有の事例に属するであろうから、右交通事故の場合車馬の運転者に対し、直ちに急停車の措置をとり、被害者の救護に必要な手段を講ずべしと命令することは、毫も難きを要求するとか、あるいは無用なことを命ずるものとは考えられない。(但し、場合によつては、人に対する傷害等の結果の発生していないことが一見明白な事態もあり得るわけであるが、右緊急救護義務はかかる場合に限つて特に発生しないものと考えられる)そして、右交通事故とこれに伴う人の死傷の結果の発生が一般であり、そして行為と結果の発生との間にこのような一般的因果関係が肯定される以上、交通事故の場合、特に人に対する死、傷の結果の発生したことまでを認識しなければ、被害者に対し緊急救護の措置を講ずべき義務がないものと解することは、むしろ法の期待するところに副わないばかりでなく、前に見た行為と結果発生との間の通常の因果関係を否定し、あるいは更にこの関係を肯定しながらも、なお加えて右関係が現に存していることを確め認識することを、交通事故をひき起した車馬の運転者に求めるものであつて、過剰である。このように考え最ば、右六七条所定の緊急救護並びに報告義務の発生については、車馬等の運転者において、その運転中の車馬を直接又は間接に人の身体に接触又は衝突させ若しくはその身体をひいた事の認識さえ備れば必要にして充分なものと解すべきである。そして又、かく解することにより同条違反の罪が故意犯たることの構造を破るものとは、とうてい考えられないのである。ところで、本件においては、被告人及び論旨が極力主張するに拘らず、被告人がその運転中の大型貨物自動車車体左側を原判示場所で原判示黒川隆一運転中の原動機付自転車に接触させ、同人の右足下腿部を自車左後輪でひいたことは、既に判断したとおりであり、この場合被告人はそのまま一五〜六米進行して後ろを振り向いたこと(なお、昭和三四年二月一二日付司法巡査井坂一男作成の実況見分調書によれば事故現場に加害車輛のものと認められる二条の擦過痕があり、被告人が事故発生前後急停車の措置をいつたん講じた事実をも推認できるのである)当時黒川は路上に転倒し、附近に原動機付自転車も放り出されていたことは、前記中沢一雄の原審及び当審受命裁判官の証人尋問調書により明認できるところであるから被告人において仮りに右黒川隆一に対する傷害の結果の発生した事実までは認識していなかつたにせよ、自車を黒川隆一乗車中の原動機付自転車に接触させ、同人を路上に転倒させた事実までは充分認識し又認識し得たものと認めるのが相当であるから、被告人がその事実を認識しながら、前示六七条所定の義務を尽さなかつたものである以上、同人に対し原判示第二の罪の成立すべきことは当然である。この点において原判決には事実誤認又は法令違反のかしは存しない。論旨は理由がない。